第 12 章「八葉蓮華の妙法」
第 04 節「元品(がんぽん)の無明(むみょう)」
誰もが我が生命という無上の宝、すなわち“LIFE”を持って生まれてくる。
今見たような食物連鎖は、殺生とは次元を異(こと)にしている。
食を得るため、生きとし生きるものは力をつけ、生を全うしようとしているのだ。
自然界において、力と力はぶつかりあい、勝者が敗者を糧として生き抜いていく。
人間がコミュニティーを形成して外敵から仲間を守り、知性によってより良い世界を築こうとする。
捕食を必要とする動物の中で、人間は殊(こと)に、他の生物との共存や、他者との共生を目指して進もうとする。
同じ人類が、一人も漏れなく生を享受する方法はないか。
それには生命を尊ぶことが根本だ。
根本的に尊敬するという生き方が必要である。
では、何を根拠に根本尊敬するのか。
この根拠が重要なのだ。
万人平等に尊極の“LIFE”がある。
これが本作を通じて私たちが探求し続けてきた根本尊敬の根拠だ。
しかし、自他共に“LIFE”を持っているなどとは、どうしても信じられない生命の迷い、闇が存在する。
これを“元品(がんぽん)の無明(むみょう)”と呼ぶ。
“LIFE”だけは認めたくない、信じたくないという、恐るべき生命否定の闇を、胸奥深く隠し持っている人間がいるのだ。
多かれ少なかれ、誰しも生まれ持っていると言うことができる。
無明の闇は必ず他者を巻き込む。
無関係の他者、及び従者は不幸であっても仕方ないと考えて行動している。
そして自己を弾劾する唯一の理念、すなわち“LIFE”を破壊することによって、自分だけが欲望を満たせる世界を作ろうとするのである。
小さな世界から大きな世界まで、彼らの欲望が及ぶ範囲は様々だ。
その範囲の大小に関わらず、たった一人であっても他者を巻き込んで奪い尽くそうとするエゴイズムこそが、反“LIFE”の正体であり、奪命者、すなわち悪魔の眷属にまで堕する者たちの本質なのである。