The story of "LIFE"

第 10 章「無量義(むりょうぎ)」
第 10 節「“LIFE”の一法とは」

第 49 話
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体力よりも精神力、あるいは「魔力の被爆量」とでも言うべきか、放出と吸収の量が器の何個分にも及んだため、たとえまだ魔法を撃てても、タフツァは重度の疲労感に苛まれていた。

LIFE騎士団の援軍はまだだ。
依然としてフィフノスは昏睡しており、目を覚まさぬよう、定量の魔力流出をかけ続ける必要がある。

人心使いホッシュタスに、いつ背後を狙われないとも限らなかった。

『ウィロを育てるにも、成長速度は限界がある。
ここは危険が多いだけに、やや戦力不足か・・・。』

彼とて複数の強敵を相手に無限の力があるわけではない。
心細いというよりも、冷静な分析の結果、そう感じているのだった。

まだ暗くならないのが幸いだ。

テンギの柩車を護送する行軍は成功するだろうか。
成功したとして、リザブーグ城の地下牢に封じ込めておけるだろうか。

彼にはすでに、古都アミュ=ロヴァの獄舎から悪魔結社マーラの首領たちが逃亡したと伝えられている。

『改心のない、凶悪な術士たちを、捕縛と労役によって押し込めておくことは単なる時間稼ぎでしかない。
なぜ、彼らには“LIFE”の呵責が現れても、“LIFE”の芽が出ないんだ・・・。』

特にヨムニフである。
あの男はシェブロンと同じラオンジーウの門弟にして、“LIFE”を知る者ではないか。

『知識だけでは身にならないということだ。
奴には“LIFE”への信がなく、実践がない。』

“果てしない生命の闇”に立ち向かう時、この戦いに際限はないのかと、心折れそうにもなる。

しかしそれらは、いつの時代にも存在する、生命の負の側面であって、決して全てではないし、それがあるから人類が不幸なのでもない。

そうした闇に飲み込まれ、心奪われ、他者までも巻き込もうとする生き方に負けないことだ。

人間は、悪魔とその誘惑に断固とした戦いを起こし、これを打ち破り、敗北の流転を勝利の前進に変えていくことができる。

“LIFE”という、人間の究極を説き明かすことによって、光と影が鮮明になり、目指すべき道が照らし出されてゆくのである。

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