第 10 章「無量義(むりょうぎ)」
第 10 節「“LIFE”の一法とは」
破法者が権力者と結託して“LIFE”を破り、大多数の人々が毒に酔いしれて狂乱する時代にあっては、激しく押し寄せる攻撃また攻撃を防ぎ、忍耐強く時を作るしかない。
畏(おそ)れてはならないし、従ってはならない。
“LIFE”の子弟が畏(おそ)れ、乃至(ないし)従うならば、破法者たちは嘲笑し、勢い付いて壊滅を狙うだろう。
だが“LIFE”の直系は凄まじい。
一人倒れ、二人倒れ、総倒れとなった様相を見て、我が身命を投げうっても戦う意思を示すのである。
これを“LIFE”の総力戦という。
破法者には身命を捨てるほどの覚悟も準備もない。
危ういと見ると自分可愛さに逃げ出すからだ。
“LIFE”の陣営が総力戦を敷いて尚(なお)、敗北するとしたら、それは内部の敵、「獅子身中(しんちゅう)の虫」による。
では、勝敗を決するのは何のためか。
破法の誤りを明らかにするためだ。
万人が“LIFE”に生きる道を開くためだ。
過去遠遠劫(おんのんごう)からの、人類のエゴイズムによってもたらされた災厄(さいやく)、「大量破壊兵器」と「環境破壊」でさえも、“LIFE”によって転換できるからだ。