第 10 章「無量義(むりょうぎ)」
第 08 節「“LIFE”を開く」
人の意思も、体系立った思想も、その精神の消滅とともに消え去っていく。
それは、文書によって伝達することができれば、後世に残すことも可能である。
しかしながら、後世の人にとって、その先人の意思ないし思想が、単なる一個人の見解に過ぎないとなれば、文書は私見の記録であるに留まり、未来を生きる人々が、その先の未来まで版を保存し、伝えるかどうかは、著者の意思とは関係なくなる。
一人の人間が生涯を通じて著した数々の英知が、過去・現在・未来を貫く普遍の真理であるならば、それを万人に開放していつでも汲み出せるようにし、広く発展と応用に役立たせるべきだ。
そのためには、意思を正しく受け継ぎ体現した、後継者の存在がどうしても必要なのである。
今ようやくにして、シェブロンには次代を託すべき後継者が誕生していた。
“生命”と“生命”のぶつかり合いとしての、剣と魔法の戦闘における“LIFE”戦術は、ファラが見事なまでに体得していた。
瞬間瞬間に起こり来る“生命”の様相を、いついかなる場面においても“LIFE”の高みまで引き上げ、導く存在はフィヲだ。
また、師が著した書物に触れて、寸分違わぬ理解と実践を、自身のみならず他者にまで行わせ得る指導者はタフツァである。
天上界の王者となりつつあるヱイユ、その眷属となったソマ、そして人倫の君公となるべきザンダには、彼らを助け、どこまでも守護するという誓願が生まれた。
戦いの中に生まれ、戦いの中で死んでいく、常に勝利をもぎとって師の元へ集う最強の軍勢こそ、LIFE騎士団だ。
百獣の王ドガァは、何物をも恐れず、屈せず、敗れることなく、雄雄しく突き進み、更にはあらゆる獣を引き連れて“LIFE”を讃嘆し、徹して戦い、護り抜く存在である。
彼らが立ち上がったからには、各地に群がる悪鬼、魑魅魍魎(ちみもうりょう)の類、深淵の業火に身を焦がす亡者たちまでも、“LIFE”の光明で蘇生させてくるに違いない。
不思議な縁(えにし)によってシェブロンの元へ集い、“LIFE”を希求して、個々の能力、個々の使命に随(したが)い、各地へ旅立っていった教え子たちの顔が浮かぶ。
皆、この場にいるように思える。
先師ラオンジーウが全生命を注いで育ててくれた使命である。
そのシェブロンが、実に生涯を費やして育て上げた弟子たちが、今度は彼ら自身の戦いを開始していた。
フィヲと組むことで無敵の強さを誇るファラ。
この、全ての弟子の中で事実上最強といえるファラに、勢い迫る戦力がすぐ眼前にあった。
それはサザナイアである。