第 10 章「無量義(むりょうぎ)」
第 08 節「“LIFE”を開く」
“LIFE”戦術において比類なき成長を遂げ、それが観念だけではないことを実戦の中に示してきたファラだが、根が正直であるため、非正攻法をとられると足元を掬(すく)われてしまうという弱点を、ホッシュタスらの宿敵に握られてしまった。
古(いにしえ)の文書から、「エンド・オブ・ザ・メソッド」という表記が見られる呪術によって、ファラは属性8魔法を失っている。
彼ほど“LIFE”戦術に抜きん出た文武両道の魔導騎士が、一度ならず、二度、三度までも魔法を奪われたのはなぜなのか。
本来“生命”には、“生”と“滅”の両面が具(そな)わっている。
魔法を失うということは、“生命”に具わってそれまで“生”の様相を現していたものが、一度に“滅”し去ることを意味する。
ほとんど“死”の苦しみを味わうことになるのだ。
元よりホッシュタスは、ファラを簡単に殺してしまおうなどとは考えていない。
持てる力、苦心して身につけた力の全てを奪い取り、魔法を撃てなくして、嬲(なぶ)り殺しにすること。
塗炭の苦しみと怨嗟の深淵のうちに叩きつけること。
およそ人間に生まれた者が他者に対して抱き得る、最低最悪の憎しみが、実にファラに対して差し向けられたのである。
シェブロン自身、若き日より、闇の者どもから憎まれ“生命”を狙われること数千年来の仇敵の如くであって、今ファラが受けている攻撃の全てをよくよく知悉(ちしつ)していた。
それだけに、自分が出て行ったところで火に油を注ぐようなものであり、ファラを守る力とならないばかりか、“LIFE”を後世に伝えるという、万人にとってたった一つの“希望”を投げ出すことになってしまう。
ファラを守れる者はフィヲばかりであった。
シェブロンですら未だ回避の術を解明できていない、忌わしき「エンド・オブ・ザ・メソッド」の呪術を破る力がフィヲには具わっているようなのだ。
彼女は魔法陣という理論の上ではなくて、とっさの判断において、ホッシュタスの呪術の中へ飛び込み、それを跳ね除け、ファラを最後まで守り抜くだけの一種不可思議な力を秘めていた。
その力は、フィヲにだけ具わったものではないのだろう。
シェブロンはその不可思議の力を解明し、万人に授与することこそが、師弟の勝利における最難関にして、“LIFE”という究極の扉を開くための一大事業であると知った。
師が弟子の中に見出した光明だった。
誰かが、あるいはフィヲが実際にやってのけたとしても、その光明が現実の人間の内で生き続けられるのは、その場に居合わせて見た者の記憶が途絶えるまでの間の、限られた期間に過ぎない。
城下へおりて若者たちの輪に入り、声をかけ、城へ招いて、更には弟子の悩みに耳を傾けていながらも、シェブロンは深い深い瞑想の、思索の中にいた。
誰にでもできる方法で、“生命”の内なる普遍の“光明”を、永遠に開く道を後継の弟子たちに残さねばならないのだ。
それにはやはり書を著し、理論を解き明かす以外にない。