第 10 章「無量義(むりょうぎ)」
第 08 節「“LIFE”を開く」
明日には城を発たねばならないフィヲは、ヴェサに呼ばれたと聞いて、急ぎ部屋に戻ってきた。
ここ数日、夜になると魔導書を開いて老婆の昔話を聞いたり、床に就いてからも幼少時からの思い出話をしたりと、実の孫と祖母のように過ごしたのだ。
決まってヴェサの方が先に眠ってしまい、フィヲは少し寂しい気持ちになったが、寄り添うように名残を惜しみ、やがて眠った。
育ての親であり、泣き虫だったフィヲをここまで芯の強い女性に育てたのはヴェサだった。
彼女の衰えを一番身近で感じているのもまたフィヲであることは言うまでもない。
仰向けに音も立てず寝ているヴェサを、フィヲは時々横からちらっと見ては、呼吸をしているか、体温が保たれているかなど、心配になって触れてみた。
ずいぶんと痩せてしまったのではないか。
元々武器での応酬はしないが、LIFEに敵対する者があれば、猛然と魔法杖を振り翳(かざ)して戦い、どんな相手をも凌駕する法力を現じて撃退した。
殊(こと)にフィヲを守る時のヴェサはまことに大きく強く見え、それはそれは恐ろしかったものだ。
今、北の大陸オルブームでは、ヱイユとファラが悪魔の大群を相手に戦っている。
ファラのことを考えると、すぐにでも飛び立って加勢したくもある。
だが、自分が行ってしまった後、ヴェサはどうなるだろう。
その気持ちを打ち明ければ、彼女は即座に「心配はいらない」「行っておいで」と言うに違いない。
フィヲは決戦の地へ赴くことを考えるたび、ヴェサの姿を見ると、いつもそうした声が返ってくるようで、涙をこらえていた。
もし本当に「行っておいで」と言われたら、もはやそれ以上、出発を延ばすことはできなくなる。
どんな時でもそうであったように、ヴェサが“生命”を振り絞るようにして発する毅然とした強い声が次に聞こえたら、その時こそ最後の別れとなるように思われるのだ。
部屋の戸を開けると、夕暮れの窓を背に、老婆は安楽椅子に腰掛け、穏やかな表情で手を招いていた。
少年ウィロが駆けてきた。
フィヲはヴェサにだけ見せる、甘えたそうな表情ではいられなくなった。
「フィヲさん!
ぼく、ヴェサさんからたくさん魔法のお話を聞いちゃった。
・・・いよいよ、出発だからね。」
少年が言っているのはタフツァと彼自身の出発のことだが、フィヲは思わず少年の頭越しにヴェサを見た。
ヴェサは目を細め、顔をしわくちゃにして笑いながら、フィヲに頷いていた。
「うん・・・。
絶対に負けられない戦いだわ。」
ヴェサを見ていた目を下ろし、少年の顔を見ながらフィヲが言った。
すると、思いがけなくヴェサが応えた。
毅然とした強い声だった。
「勝つと決めていくんだよ。
勝つために学び、勝つために汗を流して力をつけてきた。
師の大恩を忘れるな。
“LIFE”の勝利は万人の勝利。
悪魔どもといえど、“LIFE”という根源に逆らい続けることなどできないんだよ。
・・・坊やとそんな話をしていたところだ、なあ坊や。」
「はい!」
夕陽に照らされ、ヴェサの方へ歩み寄ったフィヲは、二人だけの時には照れくさくてできなかった老婆の頬へのキスを、深い感謝と親愛の情によって交わしていた。