第 10 章「無量義(むりょうぎ)」
第 07 節「七宝(しちほう)身に具して」
“権力”を恐れない者とは、当時はシェブロンであり、ムヴィアだった。
また、人を育ててまで悪しき“権力”を打ち倒そうとするのがシェブロンであり、その点、ムヴィア以上に憎まれていた。
悪王は自分以上の存在を激しく憎悪する。
全ての他者をして、必ず自分よりも下に置かなければ害意が収まらないのだ。
事実の上で、権力者よりも優れた人間。
彼は悪王の機嫌を取るために、苦心して鍛え上げてきた精神性を放棄しなければならないのか?
そんなことは絶対にない。
悪王が“人間の王者”の下(もと)に屈服するべきである。
それがどうしてもできないところに問題があり、人類の根深い宿業があると言わざるを得ない。
「暴君がなぜ、“LIFE”を妬み、憎むのか。
それは“LIFE”という法則が分からないからだ。
自分の方が上であると、驕(おご)っているからだ。
その間違いを正してやらなければならない。
なぜなら、権力者は人々の幸不幸を左右するからだ。」
「人は、誰かに守ってもらおうという考えを捨て、自ら悪王と戦う勇気を持たなければなりません。
先生がしてこられたように。」
「鋭利な刃を振り翳して、王法に従うならば生かしてやろう、さもなくば命はないぞ、と脅すのが権力というものの“魔性”だ。
きみのお母様はこの『権力の魔性』に敢然と立ち向かわれた。
そして打ち勝たれたのだ。」
しばらくファラは黙ってしまった。
そう言われても想像ができない。
「母は、『ディ=ストゥラド』に殺されたのですか?
それとも、共倒れになったのですか?
悪王はどこへ行ったのでしょう・・・?」
乳飲み子が母を求めるような問いかけに、シェブロンは心を打たれた。
「最後の魔法を放つ時、お母様は発動対象を暴君『ディ=ストゥラド』とせず、ご自身を含めた『双方』にされたという。
『ディ=ストゥラド』は魔の権化のように思われるが、その存在を考えれば実体があり、誰か人の子であったことは確かだ。
ムヴィアさんは“魔性”を封じるにあたって、その苦しみを悪王一人に与えることなく、ご自身も受けることを選ばれた。
わたしはそう考えている。」
かすかに覚えている母の優しい匂い。
全てを包み込んでくれる笑顔。
母ムヴィアの愛情は、子であるファラのために注がれる道が当然あった。
ファラにはその権利もあっただろう。
しかし母の愛情は誰かによって奪われたのではなかった。
ただ一つしかない“生命”を、何のために使ったのか。
ムヴィアはわが子や夫との幸せな生活よりも、万人を苦しめる“魔性”の打倒のために全生命を燃焼させてくれた。
この行動によって、どれだけの人の“生命”が守られ、救われたことか。