第 10 章「無量義(むりょうぎ)」
第 06 節「輪廻の支配者」
いつも自信に満ちて、皆が緊迫している時にも余裕を絶やさないサザナイアが、焦りもし、恐れてもいるようだった。
ファラとフィヲは魔法で滑走するということにだいぶ慣れてきたが、サザナイアはそうした使い方はしたことがない。
それで、彼女が走っていくので、二人も同じように走っていた。
持久力に関して言えば、サザナイアが最もあり、次いでファラ、またフィヲにいたっては息が切れてしまって長くもたない。
「サザナイアさん。」
ピタリと立ち止まって、彼女は振り向いた。
「まだ先よ?」
「はい。
あの、フィヲがあまり体力がありませんので、サザナイアさんにも魔法をかけて差し上げます。
皆で速度を上げていきましょう。」
「ああ、ごめん、ありがとう。」
滑走に切り替えると、フィヲがくすくす笑っていた。
「私もまた、走った方がいいかしら。」
「きみはあまり食べないからね。
無理しなくていいよ。」
剣や武器による戦闘力は、かなりの度合いで体力に依存する。
それに対して魔法による戦闘力は、筋力や持久力とは異なった力から起こる。
ごく腕力の弱い者でも、強大な威力の魔法を起こすことも可能なのだ。
では、魔法力とは一体、何を源としているのか?
それはその人が持つ“生命力”である。
肉体労働に耐えうる筋力が持久力なら、瞬間の生命、すなわち“一念”に、思いや願いの全てを凝縮して放てる能力が魔法力だ。
当然、鍛え方が全く異なってくる。
だが魔法の強さと同じことが剣にも言える。
思いや願いを一瞬に凝縮して放つという点である。
剣士たちは体を鍛え、術士たちは知性を鍛えることで、自身の道を全うしていくのだ。
腕力に優れた者が、“一念”の力の優れた者に勝てない理由がここにある。
サザナイアの強さは、物理的な力と力の関係を読み取って、双方とも活かしきる形で相手の隙を破り、自らの勝利を決定していく独特の戦闘スタイルにあると言えよう。
また、打つと決めた場所では必ず打ち抜くことも決め手となっている。
ファラはシェブロンの“LIFE”戦術の実践者であり、戦場において絶対に“LIFE”を証明してみせるという戦い方をする。
“LIFE”とは万物を貫く法則であるがゆえに、これを極めるならば最強の剣士とも術士ともなろう。
彼のウェポンブレイクはその一つの表れで、他者の“生命”を害するために作られた武器、及び使用を、断じて許さないと決めて叩き潰す戦法だ。
相手は気迫に圧倒されるし、ファラが何に憤っているのかを知って、人間としての負い目を感じもするだろう。
電光石火、まず心において決着をつけてしまうのだ。
そしてフィヲは、内なるエネルギーの器が尋常でなく大きい。
どのように鍛え上げたかと問われれば、彼女が生まれた時から、あるいは生まれる前から、周囲に対して、世界に対して、更に宇宙に対して、常に発し、大小の“宇宙”、大小の“生命”の交流を続けてきた、と答える他はない。
自ら現象を発動して他の“生命”と授受し合うことで、彼女の周囲には常にエネルギーのサイクルが形成されていく。
そのサイクルは、ただ巡っているだけではなく、彼女を中心に高め合いながら、限りなく増幅する性質を持つ。
エネルギーの遣り繰り、調達、運用がおそろしく上手い。
時に全てを消費して使い果たす場面にも、必ず絶体絶命の危機を突き抜けて、居合わせる全員を安全圏まで導き通すというやり方をする。
ファラとフィヲはサザナイアに、長老の森で起こっているという異変について話した。