第 09 章「無尽(むじん)」
第 01 節「天変地夭(てんぺんちよう)」
このように、一見誰もが望むように思える“LIFE”だが、では世の中に常に現れる、反“LIFE”とは、一体何であろうか。
“LIFE”に生きることは勇敢を伴う。
過去の過ちは潔く捨てなければ歩めない。
しかし人間の利己心は、自身の善悪に関わらず、生きてきた年数、経てきた生涯に対する快楽の報いと後進からの尊敬を、否が応にも要求しようとする。
“LIFE”に生きることが正しいと知りながら放棄し、安逸な道を歩んでおいて、なお世間の尊敬を集めようとする転倒の心。
彼らこそが“LIFE”の行者を見て怨嫉(おんしつ)するのである。
社会的にはその道の長者である彼らは、持てる影響力を行使して、かの行者よりも自分の方が優れていると吹聴する。
そして“LIFE”の行者に対する決定的な世間の誤解や偏見を作り出すために、「讒言(ざんげん)」を用いるのだ。
反“LIFE”のはたらきを見れば、尊厳性開花の道を塞(ふさ)ぎ、開こうとする盲を閉ざし、真実希求の心を閣(さしお)かせ、我が胸中の尊厳性をも捨て去らせようとする、まさに「諸悪の根源」、「不幸の元凶」といえるだろう。
ファラはあらゆる場面で、ロマアヤの仲間たちに向かって、本当の敵は何かを説き続けた。
国家と国家の間の、異なるイデオロギーの戦いではない。
個々の人間の、内なる反“LIFE”との戦いなのである。
全ての生命は無上の尊厳性を秘めるとともに、その開花を押し止(とど)めようとするはたらき、すなわち、摩擦、反動、ゼロ回帰といった抵抗に遭う。
いついかなる時も、擦り減らされながら、押し返されながら、力を奪われながら、人は生命尊厳の勝利を手にしなければならない。
コダリヨン、ラゼヌター、メッティワの3将軍は、限りある時間の中で、ファラからシェブロン博士の“LIFE”思想を吸収するよう努め、ウズダク国へ向け、出発していった。
セトの国内で起きたクーデターにより、南北両国の全面戦争はまだ始まらない。
ブイッド港のロマアヤ本営で次に話し合われたのが、メビカ船団へ使者として赴いているサザナイアの支援であった。
彼女はメビカの頭領ヌダオン=レウォと面会でき、中心都市ズマワービに滞在中なのだ。
メビカとしてセトとの戦いには意欲を示した。
だがロマアヤがウズダクを味方につけようとしていることはどうしても腑に落ちないらしい。