第 08 章「星辰(せいしん)」
第 03 節「千手(せんじゅ)の鬼神」
この日、旧公国府からヴェサがやってきた。
彼女は近頃老衰が目立つようになっており、孫娘的存在のフィヲにどうしても会いたいと言って馬車を出してもらったのだ。
ブイッド港はいわばセトと交戦中の最前線であり、周囲は終結まで待つように止めたが、無駄だった。
到着の知らせを受けて迎えに出たフィヲは、出発前と比べても衰弱を見せるヴェサの姿に驚き、そしていたわった。
「よくやったね、よくやった。
シェブロンさんはさぞかし喜んでおわれるだろうよ。
これからは危険な所へ行くのはやめて、静かに暮らしたいものだ。」
「おばあちゃん、もう少しなの。
セトの兵隊さんも、戦うたびに味方になっているのよ。
この大陸から侵略行為がなくなったら、・・・そうね、ロマアヤに住みましょう。」
本当は、フィヲは決して安住など考えていなかった。
師のシェブロンがメレナティレから弾圧を受けて流刑の身にあるのだ。
一日も早くイデーリア大陸の戦乱を収め、マーゼリア大陸へ、リザブーグの地へ、戻らなければならない。
若い自分にはそれが可能だ。
しかし、ヴェサはどうだろう。
ロマアヤへ来る途中に見た、ワイエン列島の西側、メビカ船団。
元は海賊という、豪快で義侠心の篤い人々の領土である。
更に東側、ウズダク海軍。
セトと同盟関係にあり、軍靴の音が絶えない地域だ。
彼女はイデーリアに平和が訪れれば、必ずワイエン列島の対立も解消されると確信していた。
とはいえ日に日に衰えていくヴェサに、もう一度あの船旅ができるだろうか。
心が痛む。
もう無理をさせることはできない。
考えたくないけれども、ヴェサとの別れがそう遠くないことをフィヲは感じていた。
最後の地を選ぶのはヴェサ本人かもしれないが、これ以上どこへ行く必要もない。
二人が初めて出会ったロマアヤの地に住ませてあげたいと思った。
フィヲには当然の心配だ。
一方ヴェサは、ここへ来るなり急に若返ったように快活になった。
同行したロマアヤの人々にはその理由がよく分かる。
彼女にとって、フィヲの存在こそ希望そのものだったのだ。