第 08 章「星辰(せいしん)」
第 03 節「千手(せんじゅ)の鬼神」
官邸には戻らず、養っている女の家へ赴いたテンギは、なぜか青ざめた顔で寝台に腰を下ろした。
女はいつもの通り彼が自分を求めて来たのだと思って近づいてきた。
だがテンギはだらりと頭を垂れて両手で耳を押さえ、苦しそうに唸り始めた。
それにしても巨大な男だ。
高い天井を持った、かなり広い部屋ではある。
ただ、女といると、彼の異常な体躯が、壁に映る影にしても、はっきりと浮かび上がって見えた。
テンギが足元をガタガタと鳴らし出したので、床板を壊す恐れがあり、女は彼の方へ手を回してなだめるようにする。
急に我に返った彼は、耳からゆっくりと手を離し、神経の高ぶりも治まってきたようで、女を抱き、弄び始めた。
やがて部屋中に、無遠慮な女の叫び声が成り響いた。
テンギは感覚が麻痺したままだったので、悦に入るでもなく、その声だけが妙に耳に障るのを感じていた。
今日はどうも体がおかしい。
その女の声がだんだんと不快に思えて、堪らなくなってきた。
女はもはや、テンギのためではなく、自らの悦びのために声を上げている。
彼が何もしてこないのを、単に疲れて眠いのだろうと考えた。
しかしこの時、テンギの意識の中では、恐ろしい幻影が回想されていたのである。
20年以上前、幼少の頃の記憶だった。
女ばかりの村、どの顔も冷たく歪んで笑んでいる。
人間は悲しい出来事があると涙を流すというが、彼にはそれがどうしても理解できない。
なぜ、目から水が流れ落ちるのか。
水と感情に何か関係でもあるのか。
村での日々、誰からも愛されることのなかったテンギは、時々息が苦しくなって、一人きりになるため森へ入った。
そこで胃の中のものを嘔吐しながら、血の涙を流した。
幻影は次の場面で、幾人もの女たちが、彼の手にかかって死んでいく様を描き出していった。
ようやく、今耳に聞こえている声と、その当時、実際に聞いた絶叫とが同じに聞こえ始めたのである。
すると無意識にか意識してか、自分の上で大声を出して狂っている女の喉を握り締め、寝台へ仰向けに倒すと、馬乗りになって散々、女を殴りつけ、ついには殺害してしまった。