第 08 章「星辰(せいしん)」
第 02 節「烈日衝天(れつじつしょうてん)」
「何やってるんだ!
まだ2倍も距離があるんだろ?
戦えるならどんどん倒してくれ。
息が続かなければ、怪我したセトの奴らを助けてやってほしい。」
追いついてきたムゾール=ディフにザンダは振り返って、厳しい口調の中にも微笑を浮かべた。
この時すでに後方から加勢するセト兵の一群があった。
「あなたがたに敵対する理由はありません。
むしろ祖国のやり方を危惧しています。」
「南下してくる兵たちも、話せば分かる者がいます。」
「他に生きる術(すべ)がないから従っていただけなのです。」
彼らに対して、ザンダは遠慮なく言った。
「もうセトとかロマアヤとか、どっちでもいいんだ。
イデーリア大陸に生きる人が、本当に幸せになるかどうかだけで考えて行動してくれ。
隣のマーゼリア大陸も同じことだよ。
おれたちが戦争を終わらせて、手を取り合って建設を始めるなら、他国のいいお手本になれるじゃないか。
そういうわけだ、いっちょ、たのむぜ。」
剣を振るう力にしても、それが誰かのエゴのために使われるのか、人々のために使われるのか、兵士たち戦士たちにしても、必ず願いはあるものだ。
どうせ生きるなら、どうせ戦うなら、皆が幸せに暮らすためにこそ、自身の力を使いたい。
悪しき思想の毒に染められていない者ならばそう思うに違いないのだ。
問題は、人の精神を蝕み、戦乱へ、殺戮へ、背反へと向かわせる「排他性」にある。
その根本は“生命”に対する軽視である。
今どのような状態にあろうとも、“生命”を磨き高めていく時、人は必ず尊極な使命に生き抜いていけるという信仰があるかないかだ。
レボーヌ=ソォラでのLIFEの戦いがそうであったように、同じシェブロンという師に薫陶を受けた弟子たちの心は一つだった。
そして、共に戦う人々にもLIFE思想は伝播した。
つまり鋭利な刃物を握っていたセト兵は、ロマアヤに降伏すると武器の扱い方が変わったのである。
斬るのではなく打つ、刺すのではなく薙ぐ、殺傷するのではなく戦意を失くさせる、等々。