第 07 章「展転(てんでん)」
第 03 節「古都の防塁(ぼうるい)」
「エゴイズムを発現させる度合は、人によって異なります。
たとえば子供が、周囲の友達と比べて、問題視されるような行動を起こし易い場合、これを修正するために必要なのは、罰すること以上に、勇気を出させることではないでしょうか。
他者が嫌がる言行でも、本人にとっては自然に出た振る舞いであり、なぜいつも自分だけが問題視されるのか、納得いかないことは多いです。
その時に大事なのが、“LIFE”による全人類的視野を開かせることであり、小我を越えて大我に立たせる労力であり、各自が内包する個性的な力が、自他共(とも)の幸福に役立つという体験の積み重ね、そこから来る自信であると、私は思っています。」
ヤエもまた、戦乱を収めたのちは教育に携わりたいのであろう。
ソマはこの友人を尊敬し、頼もしく、愛おしく思った。
「人の職業は、独立しているようで、実は人間社会としてつながっている。
子供が人格を形成する過程で深く関わる家族や教師といった当事者だけが教育理念を持てばいいのでは決してありませんね。」
「創造的な人格とでも言おうか。
他者に対する姿勢にしても、悪を滅して、善を生ずる。
創造的なエネルギーを励起する言動及び行動。
これらは多種多様な他者との関わり合いの中でのみ、培われるものだ。」
「つまり人間は、“LIFE”を基調として、自分と異なる他者に、関われば関わるほど、人間としての完成へ一歩一歩と近づいていけるのですね・・・!!」
彼らの結論は、“LIFE”教育の展開により、創造的な人間を生み育むことであると一致した。
創造の対極に位置するものが破壊である。
破壊性の形成は何らかの不遇に起因することが多い。
しかし、環境のせいにして、他者を呪い、それが行き着く所で一体何になろう。
他者の痛みが分かる自身だからこそ、より強く、より優しく、創造的になれるのではあるまいか。
「では、暫定議会に出しておきたいと思う。
我らの見解は、レボーヌ=ソォラを『教育立国』とすること。
・・・『魔法都市国』を改めて、『教育都市国』とするのはどうだろう。」
タフツァが立ち上がると、ソマも、ヤエも、ナズテインも立ち上がり、スヰフォスも立った。
そして右手を前へ出し、皆で固く握ると、意思で輝く瞳を互いに見て頷き合った。